職人に憧れ、京都で修行した。
高校生の時に造園が面白そうと聞き、その世界へ入った。専門学校を卒業すると、本杉さんは伝統を大切にする京都へ修行に行くことになった。
「やりたいことを、やれ。」
父親の言葉通り、やりたいと思うことをやってきた。
京都では一からたくさんのことを学んだ。しかし20歳という若さでの住みこみの修行は、当時はとても辛く感じたという。「早く覚えて帰りたい。」5年+お礼奉公1年。自分が番頭になった後、次の番頭を育てるという習慣通り、つとめを果たしてから京都を出た。


何千年ももたせる、先を考えたものづくりを教わった。
京都での造園は、かなり先のことを考えてきっちりとつくることが求められたという。寺院や料理屋という歴史の長い庭園をつくる仕事も多かった。
「良いものを見なければ、本当に良いものは分からない。」そう親方が言う通り、良いものを見る機会にはとても恵まれていた。その経験は現在も”石はり”や”石積み”、竹を編んだフェンスといった、日本庭園に欠かせない技法を使った庭造りに活かされている。
「銀閣寺にも使われている石積みは、石を叩いて加工をします。何年か経ってから苔むして味が出てくるんです。」
取材した場所で実際に見た石積みも石はりも、まだ年数はそれほど経っていないが、手作業の丁寧さとセンスが生きていた。


地道な努力と、フットワークの軽さという強み。
造園の中で好きな作業を聞いたら、石を叩いて加工する石積みと、もう一つは松の木の手入れだという。よく見る庭の手入れは、剪定バサミでチョキチョキと枝を切る様をイメージするが、松の木は少し違うようだ。
ハサミは使わずひたすら下葉を手でむしっていく。料理屋の庭の広さなら一週間くらいかかるという。なんだか果てしない作業に思えてしまうが、「無心でできるから好きなんです。」と本杉さんは言う。
私たちの目を潤わせくれる素晴らしい庭園というのは、職人さんの地道な努力によるものなのだと改めて知ったが、そんな地道な作業が好きだと言う本杉さんの強みはそれだけではないようだ。
「京都を去った後、イギリスへ留学したんです。日本庭園の次は洋風の庭園を見たくなって。」
京都を出てすぐ独立したのだと思っていたので、これはとても意外だった。
本杉さんのつくる庭は、日本庭園だけでなく木工のベンチ制作を頼まれることもあれば、洋風の花も植える。イギリスでの1年の間に現地で庭園作りの手伝いをしてきたことで、和洋、様々な提案ができるようになったようだ。
海外へ行くフットワークの軽さと経験がきっと、今の本杉さんの魅力を作ってきたのだろう。


京都で培った職人技で、島田を美しく変えていく。
「植敏造園(UETOSHI ZOUEN)」の名前の由来は?
「植という字に、自分の名前を一文字足しました。これって京都の造園業の名前のつけ方なんです。」他にも”庭”という字を使う場合もあるという。本杉さんの造園という仕事の基礎をつくった、京都での修行。名前に隠された職人技は、島田という土地に変わってさらに発展していく。
一度身につけた職人技は、どんな時代でも決して誰にも奪われることはない。造園を通して、これからもたくさんの人に庭いじりや庭への興味を抱かせていくことだろう。
そして本杉さんが憧れたように、そんな職人になりたいと憧れを持つ若者が増えていったら、島田がさらに美しくなっていくだろうと思った。
伝統の技術と造園の楽しさを、ぜひ伝えていってほしい。
庭園設計・施工・管理
植敏造園
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